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田辺市内のゆかりの地

高山寺                                  

 田辺の市街地を一望できる高台にあり、弘法大師が開創したとされているお寺。

 長沢芦雪の「寒山捨得」や「木造聖徳太子考養之像」等の県指定の文化財が保管されており、海の見える墓地には、合気道の開祖 植芝盛平翁や田辺市の偉人の一人である南方熊楠翁のお墓があります。 

 お堂の地下には高山寺道場があり、盛平翁も田辺市に来られた際には旧本堂で稽古をされたといわれています。

地蔵寺

 盛平翁が子どものころ「四書五経」を学んだお寺。

 境内左奥に祀られている「八大龍王」を崇拝し、帰郷の際には必ず参拝されていたといわれています。

 お寺の入口には江戸時代、田辺市生まれの力士、大関千田川のお墓があり、盛平翁は小学校の先生に、千田川の話を聞き、その生きざまに感銘を受け、心も体も強い少年に育ちました。

西八王子宮

 盛平翁の生家跡近くにある神社。明治時代の神社合祀令の際、南方熊楠翁の神社合祀反対運動に感銘を受け、盛平翁も地元住民と反対運動を行い、神社を守ったと言われています。

 南方熊楠翁が知人に宛てた手紙に「兵隊帰りの植芝なる豪傑…」とそのころの様子が記されているそうです。

植芝盛平翁生家跡

 盛平翁は、1883(明治16)年12月14日、和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市上の山)で農業を営む植芝与六・妻ゆきの長男として生まれる。

 現在は、生家は取り壊されていますが、跡地には、石碑と盛平翁生誕の地を紹介する看板が設置されています。

植芝盛平翁生誕の地(生家跡)

植芝盛平翁之像

 合気道の開祖であり、田辺市の名誉市民でもある植芝盛平翁の足跡と功績を顕彰し後世に伝承することを目的に、地方都市での開催が初となる第5回国際合気道大会と同年、1988(昭和63)年8月に建立されました。

植芝盛平翁頌徳碑

 作詩:野口 民雄

 「田辺の生んだ偉大なる武人   合気道の創始者植芝盛平翁

  その心魂と玄妙の神技は    人を傷つけず自らを守り

  人類和合の真精神に徹し    日本全国から世界各国にまで

  道を弘めて六十年       その波瀾万丈の生涯は

  試練と苦闘の連続だったが   遺した功績は広く大きい

  紫綬褒章に輝き        正五位勲三等瑞宝章

  郷里田辺の名誉市民      茨城県岩間町の名誉町民

  ブラジル国ローマ教の伯爵   合気院盛武円融大道士

  あゝその名と精神は      合気道の栄えと共に

  永遠に受け継がれるであろう」  野口 民雄著『田辺よいとこ』より

 1975(昭和50)年10月5日に財団法人合気会田辺支部(現:合気道田辺道場)により建立されました。

 

植芝盛平翁記念碑

 1988(昭和63)年4月26日に「合気道創始者 植芝盛平翁 生誕の地」の石碑を財団法人合気会(現:公益財団法人合気会)と田辺市が建立しました。